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マラソン日記

Author:マラソン日記
日本共産党土佐市議。妻(三ヶ尻亮子)との二人暮し。1964年1月2日徳島県阿波市阿波町生れ。徳島大学工学部卒。旧運輸省第三港湾空港建設局を98年にやめ、日本共産党の専従に。14年4月20日から土佐市市会議員に
「文海の会」会員。ペンネームは粟田昇
事務所兼自宅は土佐市高岡町甲1955メゾンあゆみB201
メールmurakaminobuodesu@gmail.com 


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父の死 帰り道に桜後の新緑

私の父村上正春が、8日午後11時半に亡くなりました。満74歳。喪主は兄裕一
心筋梗塞の手術で4日に退院して帰っていましたが、当日夜ナイター中継をみている最中に突然呼吸困難になり、救急措置をとりましたがかないませんでした。

9日通夜、10日正午に告別式1時出棺、その後初6日をとり行いました。多くのみなさまのご協力やお悔やみをいただきましてありがとうございました。

自分もついに両親が欠ける時がきました。父のありがたさをあらためてかみしめて、のこされた母と兄と協力しながら力強く今後を生きていかなければと思います。

父は正春は昭和9年5月1日生まれ。農家の4人兄弟の長男。若いときは農家をしながら出稼ぎで京阪神にいったりダンプの運転手を。30代の後半から村上工業をたちあげコンクリートブロック工場、その後生コン販売をてがける。事業は5年前にたたみました。負債をかかえてわけではありません。「潮時が肝心」と自身の体調と今後の事業の見込みを考えた上での決断。
50代の前半から糖尿病をわずらいインシュリンをうっていました。15年前に心筋梗塞となり、心臓にかなりダメージを負っていました。好きな酒が影響しています。最後まで「飲めないなら死んだほうがマシ」と酒はたしなみながら、気丈夫な口調は変わりませんでした。
今年は結婚50年をむかえ、先月は兄夫婦と孫と一緒に金婚式を祝う家族旅行をすましたところ。
この春で小学6年になる孫を「目に入れても痛くない」とのほどかわいがり、ゆく末を楽しみにしていました。
父の死に顔は目じりがあがり笑顔でした。近年、孫との交流を通じて父に笑顔が多かったことを思いました。

私は8日10時過ぎに母から「危ない」第一報があり、11時過ぎに死亡することを知りました。
父からは10日ほど前に電話で「わしは弱った」という電話を聞いていました。そのときには「がっかりせずがんばりなよ」といいましたが、「そうだったのか」との思いでした。

9日の3時過ぎに徳島県阿波市の実家に帰りました。

近所の日開谷川沿いに近年植えてあった桜が夜中であってもたくさん、まだ咲いていることが印象的でした。父はいい季節になくなった。冷たい花冷えをこえて、暖かく万全の散る時分だと思いました。
葬儀場で葬儀を行いました。暖かい春の陽光に父の魂がしみこんでいくようでした。

11日に帰りました。帰りにはさすがに、川沿いの桜はほとんどありませんでした。帰りの美馬インターから須崎インターまでの高速道路では、山中の新緑が美しかった。新緑を胸に時分はがんばらなければ。 
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