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マラソン日記

Author:マラソン日記
日本共産党土佐市議。妻(三ヶ尻亮子)との二人暮し。1964年1月2日徳島県阿波市阿波町生れ。徳島大学工学部卒。旧運輸省第三港湾空港建設局を98年にやめ、日本共産党の専従に。14年4月20日から土佐市市会議員に
「文海の会」会員。ペンネームは粟田昇
事務所兼自宅は土佐市高岡町甲1955メゾンあゆみB201
メールmurakaminobuodesu@gmail.com 


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阪神淡路大震災=春風の日を

 17日は、阪神淡路大震災から14年目。私は当時、旧運輸省の第三港湾建設局の神戸港事務所に勤めていて、神戸市中央区山本通りの公務員寮にいました。

 揺れる前に起きたように思います。痛いというべき揺れの後、押入れの襖が倒れるのを押さえ、電燈が揺れるので飛んでこないか心配てすごしました。寮は幸い無事でした。その後すぐ多忙な港湾の震災復興にたずさわっていました。

 1週間ぐらいは電気が入らす、自分たちのことで一杯だったので、テレビの特集をみて、あらためて悲惨な生々しい現場をみて自分は限られた体験しかしていなかったと思います。

 しかし、私にとって大事な体験。私は当時、神戸青年合唱団にいて、週末に避難所をうたごえで訪問しましたが、そのやりがいは忘れません。大声で心をこめて歌いました。確かその年のうたごえ祭典でも、創作組曲「瓦礫の街から」を歌いましたが、かなり評価されたと思います。自分たちで歌っていても、思いが私たちはすごいと感じてました。
 また劇団「四紀会」にも入っていましたが、こちらはほとんど参加できませんでしたが、震災への慰問活動とともに創作劇をつくり、これを伝えなければとがんばっていました。
 職場でもそうです。港湾の復興事業に、自分たちの貢献は港湾を使えるようにと仕事にやりがいをもって、自宅に帰る時間も惜しみ、借り上げた作業船で寝泊りし、長時間の勤務にたえていました。

 みんなの復興を願い、みんなががんばっていました。しかし、孤独死が多発するように、復興から取り残され方がいまだに多くいます。いびつな復興になって本当に残念です。生活・暮らし第一にたった復興を見直さなければなりません。

 2年後、共産党に転職を決意したのも、こうした体験をしたことが、やりがいのあることと選ぶ度胸につながったと思います。

 以下当時つくった詩です。


   春風を感じて
 今日震災後、はじめて暖かい風を感じました。
 寒い中、ただ事務所に急いだねかるんだ道の途中で、感じました。
 
 震災後時には冷たい雨にさらされたなかでなんと心地よいのでしょう。
 季節はかわっていくのだ。冷たい季節が暖かくなる その予感。
 
 何も失うことがなく、寮と事務所しか知らない私です 
 第三突堤の付根にあるこの事務所からは、内海をはさんだ背後の街で、黒雲のたちこめるのを、ヘリコプ ターがひっきりなしに飛ぶのみ 瓦礫の山がつみあがっていくのをみました
 
 ああ せめて感じてください この暖かい風を

 公園のテントで野宿されている方に
 大勢の避難所にいる方に
 
 事務所にいって、同僚にも課長にも
 「今日は風が温かいですね」といったら、みな笑顔でこたえた。 
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