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マラソン日記

Author:マラソン日記
日本共産党土佐市議。妻(三ヶ尻亮子)との二人暮し。1964年1月2日徳島県阿波市阿波町生れ。徳島大学工学部卒。旧運輸省第三港湾空港建設局を98年にやめ、日本共産党の専従に。14年4月20日から土佐市市会議員に
「文海の会」会員。ペンネームは粟田昇
事務所兼自宅は土佐市高岡町甲1955メゾンあゆみB201
メールmurakaminobuodesu@gmail.com 


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「知と愛と情熱を繋いで生きる」=作家とは

14日は、文学サークルの「文海の会」の例会が「草の家」でありました。
今回の課題作品は、民主文学1月号の吉開那津子の「ある作家の肖像」と柴垣文子の「淡々と泉は」でした。

「ある作家の肖像」は、大林という炭鉱労働者だった作家のことを描いてます。主人公の玉井は、1977年頃に大林のことを知ります。大林は、玉井の作家仲間である相良に、「最初から結論の分かっていることなど小説に書くな」と厳しい助言をしていました。この言葉は相良にとっては「頂門の一針」であり、相良に「自分の師匠」といわしています。しかし玉井は大林の作品は読んでいませんでした。
大林は小学校2年生までしか履修しておらず、小学校中学年くらいから35歳まで炭鉱で働いていました。その後は、肋膜炎や塵肺症などの病気で61歳で亡くなるまで入退院を繰り返しています。壮絶な人生です。
大林の死後30数年たって、義理の娘と息子が共同して大林の作品集を「父の短編集」として出版します。主人公の玉井はその作品集を通じて、初めて大林の作品に目を通します。玉井が紹介するのは、炭鉱労働の実態を描いた「掘削競争」です。玉井は「掘削競争」を読んで胸躍らせる感動をします。大林が生きている時に読んでいればと思います。

大林の作品「掘削競争」は、主人公は炭鉱労働者として懸命に働きます。しかし機械化によって大勢の仲間と共に首になってしまいます。その後は労働組合に多くの仲間と共に結集し立ち上がります。まさに「壮絶な生き方」をもとにした情熱を感じる作品です。
特に「今晩は峰子をとっ捕まえて、抱きしめて、キスをしてやるぞ」などの表現に力強さを感じます。
当時の時代背景もありますが、こういう情熱をもって作品に取り組まなければと姿勢を学ばされました。

「淡々と泉は」は私が担当で作品紹介をしました。
  タイトルの「滾々と泉は」は、慎二の死によって塞いでいた心を、悠子との再開によって、主人公の志乃が希望を感じた心情を表しているものと思いました。

 この作品のテーマは主人公志乃の亡き夫の石碑に刻まれた「知と愛を繋いで生きる」だと思います。悠子との出会いは「知と愛を繋いでいきる」ことによって生み出されたものです。主人公の志乃は教員時代から場面緘黙症のことに注目し小説「声」の作品を発表しました。画面緘黙症をもっている悠子は志乃の「声」を読んで感想を志乃に寄せて、「場面緘黙症を多くの人に理解してほしい」とのつながりで交流が始まりました。志乃との交流は途切れたと思っていたがまた再開できました。

 作家としての題材づくりとして、人のつながりを追求していくことの大事さをうかがうことができます。この作品を生み出したのは、悠子との再会でした。志乃は慎二が最後の入院中に「悠子さんに会えたらいいね」といったことを想い出して、何をするにも気力を失っていた志乃でしたが悠子さんに会おうと熱心に探します。また慎二はそのときに志乃に「志乃は小説に生きている。書き続けろよ」ともいっています。もう会えないと思っていたが、会えました。それが再開したときの感動になっています。結果的にはこの作品となり、長編小説づくりにもつながっていくことを思わてるものにもなっています。

今回の2つの作品は作品づくりを考えさせるものでした。

次回は2月20日(月)午後2時半から草の家にてあります。興味のある方はご参加ください。

以下は「淡々と泉は」の登場人物とストーリー


▼登場人物など:志乃(主人公):昨年小学校教員を退職。京都府南部に住居。慎二:志乃の夫、志乃と同時に中学校社会科の教員を退職、大腸ガンで亡くなる。山下悠子:「声」への感想の便りを志乃に寄せる。場面緘黙症をもっている。奈良県の小都市に住む高校生だったが大阪の大学に進学。桂玲子:志乃の大学の同級生。大阪の大学の講師。企業の研究所に務めていた夫とは30代で離婚。「子どもの発達ネット」の運営委員。「子どもの発達ネット」は教科書の検定問題を考える会として20年前に発足。年4回の集いをしている。その他に、志乃の息子圭一、その妻の千津、近所の老女などが登場。
▼あらすじ
志乃は学校で話せない場面緘黙症の少女を題材にした「声」という小説を同人誌に学校の退職をまって発表。同人誌に入って12年目のこと。多くの人から感想が寄せられた。感想を3つに分けると、多いのが一般的な感想。はじめって知ったという人が多い。中ぐらいなのが場面緘黙症の家族。まだ治っている人が多い。理解してくれない悩みなどが寄せられる。少ないのは本人。だいたい治ったという人。異例だったのが「場面緘黙症があります」と書いた山下悠子さん。山下さんには返信をし交流をすすめる。山下さんは、対人恐怖症と診断されたが、「声」をよみ自分は場面緘黙症だと知る。大阪の大学に進学するために塾に通っていた。臨床心理士をめざしている。
桂玲子より、来月にある「子供の発達ネット」の集まりで「声」についての講演が依頼される。玲子の息子は、1年位前に法科大学院卒業前に死亡していた。「論文にとりつかれている」などといったその後の塞いでいた彼女のことを回想する。
講演は断ろうと思ったが、「たくさんの人に「場面緘黙」のことを知ってほしい」と書いた山下悠子のハガキのことを思い浮かべ、引き受ける決意をする。講演の題は「声なき声を聞き取る学校に」と決める。山下悠子に講演会の案内を送る。
「子供の発達ネット」の後援会は戸曜日の午後、京都市内で開かれた。参加者は200人を超えていた。山下悠子も志乃の講演を聞きに来た。講演後、志乃が悠子に声をかけ、会話を交わした。
帰りの慎二が運転する車中では、墓掃除の話題から及んで慎二の葬送のことなどを、慎二と志乃は話し合う。慎二は「散骨にしたあと、庭に小さい石碑をおいてくれるか」という。
慎二は人間ドックで大腸がんがみつかる。がんはリンパ節にも転移し手術はできないステージ4。抗がん剤の治療をうけたが効かなかった。がんが発覚しても動き回った入院したら治療に専念。「まだ」と即座に答える。慎二は最後の入院中に、志乃に、山下悠子に関連した話として、小学4年の時に学校でしゃべらない子に無理にしゃべらせようとしたことがあったことを語る。「志乃は小説に生きている。書き続けろよ」と伝える。
慎二がなくなり、庭におく石碑をつくる。石碑には「知と愛を 繋いで 生きる 慎二」の4行を刻む。できた石碑の向こうの一人暮らしの老女をみて志乃は「山下さんに会えるといいね」といった慎二の言葉を思い出し、山下と連絡を取るよう動く。山下悠子の前の住所を訪ねたが、家族は転居していて所在はつかめなかった。「子供の発達ネット」の機関誌がとどき、案内のあった夏の集いに参加すると会場で、山下悠子と出会う。人間の内に滾々とわく泉があるとおもう。
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